松山番町教会牧師
  (前日本基督教団総会議長)

          
小島 誠志

        
  Seisi Ojima



 わたしの手元に小さな雑誌があります。「聖書と教会」1982年五月号です。当時地方の教会で悪戦苦闘していたわたしが、中央の雑誌に書かせていただいた記念に大事にとってあったものであります。「今日の教会にとって聖霊とは何か」という特集が組まれていました。随想が3編。加藤常昭先生、わたし、それから手束正昭先生が執筆していました。

 手束先生の文章はその明解さにおいて、確信において、力において、人の心を惹きつけるものを持っていました。「『神への誠実』から『朝の九時へ』」。J・A・T・ロビンソンの「神への誠実」に代表される実存論的神学から聖霊による革新、覚醒へ御自身の歩まれた道を述べられたものであります。この一文は先生の教会形成の今も変わらない原点を示すものだと思います。

 「『実存論的神学』とは…実存哲学というマナ板の上で、キリスト教を料理」していく神学の方法であるといえる…。私という主体はそのままで、聖書や教理の方を私という主体が理解でき納得できるように解釈を施していく方法に他ならない。けれども、このような今∞ここにいる∞この私≠フ方にキリスト教や聖書を引き寄せようとするアプローチは果たして正しいだろうか。むしろ、それは逆ではないのか。キリスト教や聖書を本当に理解するためには、この私という主体の方こそが変革されて、キリスト教や聖書に引き寄せられることではないのか」。

 ハタと膝を打つ思いがします。教団の混迷の元凶が指摘されているような気がします。教団ではずっと「世のためにある教会」ということが言われてきました。「問われている教会」ということばが標語のように使われつづけてきました。

 傷ついている、傷んでいる、問題をかかえている「世のために」教会は仕えなければならないというわけです。そのためにあの問題この問題を教会は追いかけました。あの問題を担わなければならない、この問題に取り組まなければならない、そうやって駆けまわって、教会自体は霊の賜物の涸渇を放置しました。教会が自ら生かされる経験なしに、いったい世に何をなし得るのでしょうか。教会自らが生命の充満を知ることなしに、いったい世に与えるべき何があるというのでしょうか。

 「問われている教会」、だれに。世に問われているというのです。世からの数え切れないほどの問いがあるというのです。その問いのいちいちに教会は答えなければなりません。答え切れないのです。問いに追いかけ回されます。ひとつとして答え切れません。焦るのです。焦って、「ねばならない」に追いかけられて痩せ細っていくのです。

 教会はそれ自体では何物でもありません。教会は教会にされていくのです。聖霊をいただいて教会にされていきます。それは一度それを経験するということではありません。日毎に教会にされていきます。 「われらの日毎の糧を今日も与えたまえ」
 教会は日毎の糧を主のみ手から受けとりながら生きています。教会は日毎の糧を受けとりつつ、革新、覚醒されつつ生きるのです。
 聖霊降臨を待つ弟子たちは心を合わせて祈っていました。祈って待っていました。教会の働きは弟子たちの意欲や熱心から始まったのではありません。聖霊から始まったのです。聖霊を受けて弟子たちが打たれ変えられるところから始まったのです。

 しかしそうだとすれば教会の出発点はいつだって「待つ」ということにあるのです。よく待つ者がよく生きるのです。よく受ける者がよく与え得るのです。どんなに善い意志をもっていたとしても、熱い思いをもっていたとしても、教会は受けないで与えることはできないのです。そして、受けて、自らが生かされて与えるものが真に世を生かすものだということを忘れてはなりません。一九五〇年に年間一万人いた教団教会の受洗者は、1990年以降2千人前後となっています。その当時10万人いた教会学校出席者は、今2万人となっています。信徒の年齢層を見てみると、60歳以上が50パーセントを超えています。かつてキリスト教は青年の宗教といわれました。今や高齢者の宗教となっています。伝道の衰退は顕著です。

 教団が「…問題」「…問題」で議論して争い疲弊している間に、聖霊刷新の祈りと運動は黙々とつづけられてきました。高砂教会の聖霊体験から始まった運動は、当初教団の周辺の小さなさざ波のように見えました。今や大きなうねりになりつつあります。

 「伝道の使命に全力を注ぐ」「青年伝道に力をつくす」という伝道決議をした教団諸教会にとって、聖霊刷新の働きは今や指標であり、希望であり、励ましであると信じています。

 聖霊刷新運動が全教会に向けて発しているメッセージは一つ。教会はどこから、だれに生かされなければならないか、ということであります。




   

  生ける主との出会い

           榛原教会牧師
      
     菊池 啓示





 
私は幼い頃からキリスト者の両親に連れられて教会学校に通っておりました。中学2年の時に信仰告白に導かれましたが、神様が本当にいることも、イエス様が救い主であるということも、長いことずっと分からないで居りました。ただ、心の片隅に、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)との御言葉が植えられていたように思います。

 こんな私でしたが、21歳の秋のこと、母教会の礼拝の最中、聖餐式の時に神はお語りになりました。「わたしはお前を愛している。これまでずっと愛してきた。これからもお前はわたしのものだ」。神は本当におられたのです。イエス様はただの偉人でもなければ失敗した革命家などでもない。すべての人の救い主であり、今も生きておられることがはっきりと分かりました。嬉しいのと、申し訳ないのとで涙が後から後から溢れ、腹の底から泣きました。主イエスは生きておられます!これが私の救いと召命の出来事です。

 その後神学校に進んで訓練を受け始めましたが、生ける神様とのお交わりを深めることが出来ずに、飢え渇きをだんだんと強く覚えるようになっていきました。すがるような気持ちで創世記から聖書を読み始め、新約に進んでゆくうちに、“自分は「聖霊」を信じていなかった”と思い当たったのです。何か得体の知れない「聖霊」。けれども主イエスを告白させてくださるという聖霊。主イエスがお遣わしくださると約束なさった助け主。主イエスを信じる者の内に宿り、賜物をあらわし、実を結ぶ聖霊。ここにこそ鍵があるに違いない! この御方によるなら、召しにお応えできるに違いない!と思いました。

 それまで無視し、悲しませてきた聖霊なる主に私はお詫びをし、「理解することは出来ないが聖書にある通り信じます」、と申し上げて、導きを感謝して祈りました。それから少しずつ、見えない世界に対して信仰の目が開かれてゆき、今日にいたっています。

 現在私の遣わされている教会は、知的ハンディを負う方の施設と深い関わりを持っています。礼拝にはこの施設から利用者の信徒の方々も通って来られますが、祈り、賛美する顔には喜びが満ちているように見えます。この方々の内におられる聖霊が、大きな喜びの実を結んでいるからに違いありません。読んだり書いたり話したり、という力は弱くても、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」(ヤコブ4:5)との御言葉の通りに、お一人お一人が主から深く愛されていることを霊にあって感じていらっしゃるのだと思います。

 生ける主の御霊に導かれて歩んでゆけるとは何と心強い、幸いなことでしょうか。あるがままを主にお委ねし、私が頑張るのではなく、主御自身がお働きくださいと祈っています。敬愛する皆さまに天よりの豊かな祝福がありますようお祈りいたします。



 『異言を語る人々』
 ジョン・L・シェリル著


 「この断食祈祷で、聖霊を受け異言を語れるようになった人は右側、そうでない人は左側に並びなさい」と崔子実先生の声が牾山里の夜空に響きました。左側に並んだ7人の内四人は先生が按手して祈ると異言を語り出し、残りの3人の内2人は諦めて帰国しました。
 牧会22年目、教会堂と幼稚園舎を建て替え、新しい教会形成の方法を模索する一方、莫大な借金、学法人化等の心労から胃潰瘍、糖尿病、重傷の痔等で苦しんでいた時で、一人残り「祈りの家」に籠もり祈り続けていた7日目の1980年8月13日の早朝、幻の中で家族に対する罪が示され、悔い改めた時、大音響と共に、暖かい光に包まれ、異言で神様を讃美すると同時に全ての病が癒されました。
 その喜びを崔先生の通訳で私の世話をして下さっている王執事に伝えようと訪ねました。そこに不治の病で医師に見放され、死ぬ前に崔先生に祈ってもらおうと訪ねたが留守で雨の中に倒れていた女の人がおり、祈りなさいと言われ、ローマ8:26以下の御霊の執り成しを信じ祈り続けた処、完全に癒されました。帰国後、聖霊体験、異言、癒しが課題となり、それまでの信仰を変えたのが、この本です。一時順調に進展していた教会に突然離反者が出たばかりか、地区の牧師を巻き込んで私の排斥運動が続きましたが、それに耐えることができたのは、異言の祈りの賜物でした。
日本基督教団 串木野教会牧師 藤田房二




(13)カリスマ信仰の真骨頂

                小樽聖十字教会牧師
                      小栗 昭夫

 以前、ある年配のクリスチャンと語り合う機会がありました。その折りに、この方はご自分の気持ちを次のように語られました。「自分は、まだ信仰というものがよく分からない…」と。

 それなりの信仰生活、それなりの社会生活を送っておられる方の率直な本心を聞かされ、別れたあとでしみじみと思わされました。他国については分からないけど、少なくとも日本のクリスチャンの多くの方の本音なのかもしれない、と。

そして第一コリント12章の「聖霊によらなければ誰もイエスは主であるとは云えない」との御言について思い巡らされたのでした。
 実際、多くの方々がキリスト教をひとつの「思想」として考えています。ですから、他にもっと面白そうな思想があればそっちに興味を示します。例の使徒パウロがアテネのアレオパゴスで論じ合った時と同じです(使徒17章16節以下参)。しかし、クリスチャンがこの立場に立ってしまうと、全てが相対化されてしまうため、自分の依って立っているはずの「信仰」が曖昧になってきてしまいます。つまり、限りなく広がるこの世の思想や哲学の一つとして「キリスト教」を見ているうちに、やがてキリストご自身をも「大勢いる聖人君子の中の一人」と見るようになってしまうのです。

 冒頭で引き合いに出した一人のクリスチャンも、もしかしたらそうした誘惑に気付かない内にはまり込んでしまっていたのかもしれません。
 このコーナーの表題でもある「なぜ、今、カリスマ信仰なのか?」との問いかけも、実はそうした中にある多くの方々のことを覚えつつ問わせて頂いているのです。

 神から注がれる聖なる霊が私たちの内に働いてくださることによって、私たちは初めて神を知ります。聖霊が私たちの内に宿って下さることによって、やがて私たちは聖霊の実を稔らせるようになります。そして、その実を喜び分かち合う人生がカリスマ信仰の真骨頂なのです。
 全てが混沌の中にあるこの時代だからこそ、日本中の教会の教職者や信徒が益々活き活きと明るく輝くために、聖霊を教会に、そして個人の生活の中に、まずお迎えする信仰を共に回復させようではありませんか!




第7回
札幌グッドアワー教会
牧師西森 昌二

 私たちから広がる札幌のいやしとリバイバル
 荒れ野(薄野)に救いの道を敷き、砂漠(札幌)に恵みの大河を流す教会へ

 ★喫茶店伝道から産声を上げた教会(1996年2月6日)
 1987年、十二使徒教会の伝道喫茶店として現在の場所に喫茶グッドアワーがオープンしました。古い石倉を改装するのに約300万円かかりました。「一人の魂が救われるなら、私たちの全ての犠牲は報われる。」「喫茶店のカウンターは説教台となる。」との心をもって、店に来る多くの方の友となり、悩みに耳を傾け伝道しました。1992年4月より、その中から救われた方々が中心となり、喫茶店での日曜午後の出張礼拝が持たれるようになりました。そして、1996年2月6日、現住陪餐会員19名で日本基督教団札幌グッドアワー教会(伝道所)が創立しました。北海教区64番目、最も新しい教会です。この2月で教会は7歳となりました。

 ★新しい礼拝堂での礼拝スタート(1998年4月12日)
 教会が成長するに従い、喫茶店が手狭となり、新しい礼拝堂を祈り探していました。神様が最も良い場所を与えて下さいました。喫茶店から徒歩30秒のかなり痛んだ古い建物です。(家賃は安いので助かりました。)約1ヶ月間かけて教会員皆で改装作業をしました。1998年4月12日より、この場所での礼拝が続いています。

 ★ビジョンを掲げて(2002年7月7日ビジョンを語る会にて)
 創立後の一つの目標であった40名礼拝は、2001年度に達成されました。そして今、皆で語り合いながら、2007年までの5年計画として、以下のビジョンを掲げています。

 @礼拝出席者が50名・80名・120名と着実に成長する。
 A新しい札幌グッドアワー教会会堂・牧師館が与えられる。
 B薄野ベストアワー教会が開設される。

 特に、関東以北最大の歓楽街薄野への伝道が私たちの教会の責任であると神様に教えられています。教会から薄野は歩いて数分の距離です。教会の周りには、薄野で働く多くの方が住んでいます。札幌の歴史は薄野を中心として発展して来ました。明治時代、娼妓と言われた下級娼婦が下敷きとされ、売春産業が札幌発展の土台とされました。娼妓は性病にかかると捨てられました。今日も薄野の中に様々な悪霊の力が働いています。その束縛の中にいる大勢の方がいます。主はその問題を解決し、薄野に偉大な御業を行おうとしているのだと、私たち札幌グッドアワー教会は語りかけられています。そのことが札幌、北海道、日本の祝福にもつながっていることを信じています。まず神様は、「薄野のあらゆる場所を祈りによって埋め尽くせ。」と語っておられます。その神様の導きに応答して、継続的に、等身大の十字架を担いで薄野を歩きつつ祈っています。薄野に働く悪霊に対して勝利を宣言し、大勢の人がここから救われることを告白し、薄野で関わりを持った多くの方々の名前を挙げて祈りつつ歩きます。今までに、薄野で働く3名の方を教会の家族へ迎えることが出来ました。また、薄野にある寺の僧侶計3名が教会の伝道喫茶に来られ、証をすることが出来ました。神様の栄光を見せられました。薄野の荒野に救いの道、砂漠に癒しの大河が流れ、神様の光輝く教会が建つようにと、皆様の祈りに加えて頂ければ幸いです。