亀有教会牧師 

        
鈴木
靖尋
       
Yasuhiro Suzuki



 3月4日から11日まで、手束先生、津村先生とともに台湾伝道旅行に参加させていただいた。恥ずかしながら、台湾の歴史に関しては全く無知であり、滞在中、通訳の周長老から台湾の歴史と国際情勢に関して篤き指導を受けた。過去、日本は50年間台湾を統治したが、欧米がしたような植民地化ではなく、自国と同じレベルになるように開発と教育を与えたそうである。周長老は12歳まで、日本語を学び、日本人として誇りを持って生きて来たが、13歳から突然、中国人になってしまった。中国から渡ってきた人たちが政権を握り、台湾人や原住民が不自由な生活を送ることを余儀なくされたのだ。現在は民主化が進み、アジアにおける経済力は、日本に次いでいる。しかし、いつまた、国民党が政権を奪回するかもしれないので、全教会をあげて来年の大統領選のため戦っているとのことである。とにかく、台湾の人たち、特に年配者は日本人を兄貴分のように慕っていることを肌で感じることができた。

 旅行の最初は原住民の山地教会を訪れた。手束先生が16年間、伝道してきた所であり、歓迎ぶりもひとしおであった。前博愛教会牧師の林誠先生がご自分で作った高山茶をふるまってくれた。私はウーロン茶を健康のためにたまに飲むくらいで、高山茶に関しては全く無知であった。おちょこみたいな器でなんべんも飲んでいるうちに、独特な香りと味にすっかり魅せられてしまった。近くの教会をいくつか見学させていただいたが、山の中にタイル貼りの二百名も入る鉄筋コンクリートの教会があることが不思議だった。聞くところによると、原住民の80%がクリスチャンであるとのこと。達観教会において山地教会合同の聖会が持たれた。6教会から150名くらい集まった。男女の賛美チームの賛美が、本当に清らかで、クリスチャンでありながら、心が洗われる経験をした。

 台南では、塩水教会において奉仕した。牧師も会堂も長老教会という感じがして、山地教会の素朴な雰囲気とは全く違った。午後は長老・執事のための訓練会で、夜は聖会を持った。いずれも、手束先生のメッセージと周長老の名通訳であった。聖会後、ミニストリーの時をもった。津村先生が登場し、病の癒しと悪霊の追い出しを始めた。倒れる人、異言を語り出す人、震え出す人もおり、教会員たちは遠巻きに見ていた。彼らは、実際に見るのは初めてのようであり、あきらかに驚いていた。オルガニストが病の霊にとりつかれていた。亀有教会でもそうであったが、賛美をする者たちに悪霊は特別に攻撃を与えるようである。

 8日の土曜日は、高雄の右昌教会において「長執訓練会」が持たれた。高雄には中会(教区)が2つあり、片方の20教会から、200名を超える長老、執事が集まった。テーマが「教会更新研修会、霊的与生命更新」で、漢字で大体意味が分かるので愉快である。台湾教会更新服事団が全台湾長老教会にこのような働きを進め、前年度に引き続き、日本の聖霊刷新協議会が招待を受けたのである。私はそんなことは、ちっとも分からなかったが、画期的なことであり、手束先生の長年に渡る台湾伝道が報われたわけである。

 台湾長老教会の現状を知っておられる周長老が、手束先生に使徒6章からの「教会役員」を前もってリクエストしていた。まさしく、台湾の長老教会の役員も、労働組合のように、牧師に対して教会員の意見をぶつける機関となっているようだ。牧師が雑用や教会員の世話に明け暮れ、肝腎の「祈りとみことばの奉仕」が留守になるのだ。日本人の牧師が、台湾の牧師のために代弁してくれるのだから、これほどありがたいことはないだろう。招いてくれた高雄中会に幸あれ! そのあと、津村先生のメッセージ。尻上がり調で「ハレルヤ!」と「アーメン!」を力強く唱えることが霊的壁に穴を開けることができる。満場の方々と一緒にジェスチャー交じりで、何べんも唱えたのは、圧巻であった。小生は「父の心」を持つことが指導者に必要であると、語らせていただいた。台湾は女性蔑視のようなところがあるので、ミニストリーのときには、泣き出す姉妹方が何名もおられた。

 最終日は今回の旅行をサポートしてくれた台湾の老舗的教会、雙連教会を訪れた。高俊明牧師ご夫妻や彭徳貴牧師ご夫妻ともお会いできて、すばらしい特権にあずかった。この度の台湾伝道旅行は、私にとっては、癒しと学びのときであった。スケジュールもゆるく、おいしいご馳走を食べ、高山茶を飲み、温泉にも入ることができた。教会員にはどのように報告したら良いだろうかと心配したほどだ。最後に、手束先生が台湾教会で語られた「笑いの効用」を帰国後もぜひ、実践したいと思った。台湾教会の篤きラブ・コールに感謝!





 聖霊なる神に導かれて

 元:五条通りのケンカ屋
 現在(株)日本映画投資機構映画作製部
          チーフディレクター
      ミッション・バラバ


                          
       井上 薫

 中学生くらいから段々と非行の道に入って行きました。中学校卒業時には保護観察5年の刑をうけました。

 15歳で社会にでました。そこで出会った子と付き合い始め、18歳で結婚しました。しかし、仕事の方も行かなくなり、給料日にはすぐ雀荘へ行き、ほとんど使い果たしてしまいました。

 20歳の時、会社も不況になり自主退職して妻を連れて田舎に帰りましたが、地元ということもあり、暴走族を作り、毎日遊び回っていました。
 たまに家に帰れば、暴力を振るっている自分がいる。妻は泣きながら出て行きました。そして離婚しました。21歳の時です。
 人生なんて一度しかない。真面目に暮らしても不真面目に暮らしてもどうせ死ぬんだったら面白おかしく生きて行くんだ。そして札幌に出てディスコで遊んでいました。そこでヤクザの方と出会ったのです。不思議なようにその方とは良く会いました。

 そして親分さんの所に行ったのです。話しをしていくにつれ、その親分さんの人柄に惚れ込んで、ついて行きたいと思うようになり、ヤクザの世界に入って行ったのです。毎日のように喧嘩して明け暮れました。いつの間にか薬に手を出していくようにもなっていったのです。気が付いた時には、覚醒剤に溺れ、痩せこけてしまって怯えている自分。1人、2人と友人が離れて行き、気が付いた時には誰もいなくなっていました。幻覚症状から日本刀をもって部屋でウロウロしている自分。頭が完全におかしくなっていました。生きるのが辛くて3回も自殺を試みていました。生きて行きたいのにどうやって生きて良いのか分からないのです。見えない何かに向かって叫んでいました。“誰か助けて下さい!”と。

 10年間のヤクザの生活で、私は死に場所を求めながらさ迷っていたのです。そんな時、今の妻に出会ったのです。この出会いもとても不思議でした。3ヶ月位経った時に彼女から聖書をプレゼントされました。私はその夜に読みました。聖書の言葉が私の内側で留まったのです。「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である」

 その瞬間私の目から涙が溢れて来ました。そして罪が示されたのです。泣きながら悔い改めをしていったのです。気が付いたら1年後ヤクザを止めていました。一方的に神に導かれて行きました。私がしたことは、只、「主よ助けて下さい」、これだけです。

 先生をはじめ、教会の方々の祈りに支えられ1990年に洗礼を受けることができました。あれから13年になりますが、小栗先生がよく言っていました。「あなたはここに留まる人じゃない。全世界に出て行く人です」と。まだ何も分からない元ヤクザの私にです。13年前、今の私を想像出来たでしょうか。誰も分かりません。でも、主はこんな私を使って下さる。伝道師として日本から世界へと使って下さるのです。あなた方が叫ばないなら石が叫ぶ、と。主に祈った時に言われました。「おまえは、ただの石にしか過ぎない。石は大きくなれない。しかしその石を使うのは私だ」と。

 その通りです。私の前をいつも主が先立って下さる。主が使って下さるから働くことが出来るのです。私には何も出来ないのです。祈ったから、断食したから、というのではなくて、祈りをさせて下さり、断食へと導いて下さるのは主です。全て聖霊の助けによって私は今日まで来ています。感謝だけです。毎日が主との交わりの中、乏しい事はありません。喜びが満ち溢れてきます。これからの事も何も分かりませんが、感謝です。なぜなら、主が私の前を先立って道を開いて下さいますから。
 最後に、「風は思いのままに吹く」。感謝。





 聖霊様の語りかけを聞いて

 小樽教会牧師

        
  竹井 剛




 ハレルヤ! 主の御名を賛美致します。
 わたしが神学校を卒業するにあたって、ある牧師先生が、「牧師は本当に祝福されている。主の奇跡を見させていただくすばらしい生涯を送らせていただくのだよ」という希望に満ちた言葉を語って任地へと送り出してくださいまして、今現在北海道の小樽にて主のご用の為にお仕えしております。時には牧会をする中でジレンマ、思い悩み、落ち込み、失望感など味わうときがありますけれども、しかし主はみ言葉によりご聖霊によってわたしの思いを打ち砕いてくださって、生きて働かれていることを示され、主のみ救いが力強く進められていることを見させて下さるのです。その一つのことを証しさせていただきます。

 小樽教会では聖日の朝に、まず教会学校から始まりますが、その前に教会学校教師たちが集まってローズンゲンの「日々の聖句」より御言葉をいただいてお祈りをします。ある日曜の朝、一人の教師が「日々の聖句」を読みました。その日の御言葉は、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いているときに飲ませ、旅をしているときに宿を貸し」(マタイ25章35節)でした。その御言葉がわたしの心の中にとどまり、どうしても離れません。何のことか分かりませんでしたが、主が何かを語っていることが分かりました。

 教会学校が終わり、聖日礼拝の時間になり、私が講壇の後にあるイスに着座し、ふと顔を上げますと、会堂の長イスに疲れ、やつれ果てている一人の男性(T兄)が座っていらっしゃったのです。礼拝後にT兄と話しをすることが許されました。話しによれば、T兄は仕事の関係で北海道から新潟にわたってそこで働き、半年後に失業してしまいました。それから持てる僅かなお金で船に乗って4日前に小樽までたどり着き、小樽の山中にある吹きさらしの小屋で過ごしているとのことでした。その時期は5月で、北海道の夜はまだかなり冷え込む季節で、T兄は寒さで眠ることすらできなかったそうです。飢えと寒さの中で、T兄は自分を超えた存在を感じ始め、その存在に自分の命も死もゆだねたということです。そして今日教会に来てみたというのです。わたしはどうしたらよいのか、と思いつつT兄の話しを聞いていましたが、わたしとの話しが終わるとT兄は、プレゼントした聖書を手にして、再び山中にある小屋に戻っていきました。

 その後、「主よなすすべを知りません。どうしたらよいのでしょうか」と祈っていますと、聖霊様が、わたしに語ってきたのです。「今朝、わたしがあなたに語っていたことは、この人のことです。わたしがこの人をこの教会に導いたのです。」と言うのです。次の日、主のお取り計らいによって小樽教会の近くに不思議な形でT兄の住居が与えられ、そこで一緒に聖書を読んで、主イエス様のことについて証をし、祈りました。不思議なことにT兄は少年時代に「聖マルセリーノのパンとぶどう酒の奇跡」という映画を見て、幼いマリセリーノを暖かな懐で抱く主イエス・キリストの姿が目に焼き付いていたのです。又ギデオン協会から配布され受け取っていた新約聖書を何度も繰り返し読んでいました。その中で、本当の神様はこのイエス・キリストだろうと心の片隅にあったそうです。そして今回T兄にとってどん底の場所に置かれたときに、明白に感じた自分を超えた存在が、自分の為に十字架に死に、命を与えるためによみがえられた主イエス・キリストであることを心から信じ、来られてから1週間後に洗礼を受ける決意に導かれ、1ヶ月後に洗礼を受けられて救われました。人が救われていく、それは本当に奇跡であり、主が生きて働かれていることを目の当たりにさせられます。牧会の中での一つの証をさせていただきました。どうぞ小樽の地のことを覚えてお祈り下さい。ハレルヤ!
 





 『第四次元』
  ダビデ・チョーヨンギ著
  大久保みどり訳
  幸福への招待出版

 言うまでもなくダビデ・チョー・ヨンギ師の主要著書の一つである。1990年代初頭、日本のキリスト教にもようやく本格的な「聖霊の波」が押し寄せてきた頃、今でも多くの方々が持っておられるような偏見を吹き飛ばして、キリスト教の本格的な実力に目覚めさせてくれた一冊である。内容はご存じの方々も多いと思うが、未曾有の不況の中にあっても、「信仰」と「聖霊」の働きは驚くべき結果をもたらす「証し」であり、その「霊解」である。多くのキリスト者の持っている問いに著者自身も苦悩し、明解に答えているので、その代表的なものを2、3紹介したい。土砂降りの青年大会に出席するためにペテロのように信じて「水の上を歩こう」とした3人の女の子が川に飲み込まれて、3日後溺死体で発見された。この事件は韓国中に大反響を呼び起こした。一般の新聞も「何ゆえに神は、少女たちの信仰の祈りに答えざりしか」。キリスト教界は意気消沈。実は、若者たちが実践した信仰の行為と、ペテロが実践した信仰の行為との間には、昼と夜ほどの違いがあったのです。又、人は「神の居場所」について質問してきます。多くの場合、適当に答えてはいないか。著者は明解です。「聖霊の臨在によって、神は『あなたのうち』に住んでおられます!」。この真理の発見こそ、出発点になった、と。もっと味わいたい方は是非一読されたい。(日本基督教団小山教会牧師・竹花基成)




(14)理性の最後の一歩を

                小樽聖十字教会牧師
                      小栗 昭夫

まだ20歳になって間もない頃、東京近郊にある小さな教会に通っていた時のことです。ある日、牧師先生が、フランスの思想家(数学者・物理学者)パスカルの「瞑想録(パンセ)」の読書会をしないか、とのお誘いを、当時3人しかいない学生である我々に提案してきました。

 不勉強なことにパスカルのことも、「パンセ」のことも何も知らなかった我々は、単純な知的欲求を満足させる程度のつもりで了解し、さっそく毎週日曜日の夜に牧師館の一室で始めることにしました。

 ところが、いざ始めてみると、その面白さ、奥の深さに3人とも圧倒されてしまい、結局「パンセ」の読書会は一年も続きました。そのお陰で、当時流行していた様々な哲学思想も合わせて学ぶことができ、更にはそれらの思想に留まるべきではないことも学ぶことができました。
 あれから40年近く経った今でも「パンセ」は私にとっては非常に大切な書物のひとつとなっています。
 ところが、先日、カトリックのある神父の講演を伺う機会があり、その中で同神父が「理性の最後の一歩は、自分を超えるものが無限にあることを認めることである。」との「パンセ」の言葉を引用しながら、人間の理性もまた被造物なのだ、ということを強調しておられるのを伺って大変感激しました。なぜなら、久しぶりに公けの場でパスカルを紹介する言葉を聞き、合わせて、正にこの引用句こそパスカルが真に表現したかった信仰への鍵なのではないのか、と自分もまた強く感じていたからでした。

 そして、講演が終わった後も、暫くは私たちの「信仰」について思いを巡らす時を持ったのでした。そして、改めて確信を与えられたのでした。この「理性」を超えた世界に触れることこそ、聖霊の働きに触れることなのだ、ということに。さらに又、この聖霊の働きに触れることこそ、私たちが今、真に証ししたい私たちの信仰なのだということに。

 ちなみに、パスカルもまた「聖霊体験」者のひとりであったことを、死後、衣服に縫い付けてあった「メモリアル・火」が証明していると、私は確信しているのです。




第9回
赤磐教会
牧 師/額田 浩

 赤磐教会は、岡山県の東南部に位置し岡山駅から山陽本線で15分上ったところにあります。皆様には備前焼で有名な備前市の近くと言ったほうが分かりやすいでしょうか。
 赤磐教会は1941年11月24日、兼田儀牧師の時代に創立された教会です。その後、1953年、太田琢治郎牧師の時代に旧会堂が献堂されました。その礼拝堂で48年間礼拝がささげられ、一昨年2001年に現会堂が献堂されました。

 しかし、伝道されていても組織できない時代を加えると明治初期にまで遡ります。さらにキリシタン時代を入れれば約4世紀半もの時代を遡ることができます。何しろこの地は宇喜田家の筆頭家老で熱心な信者の明石氏の領地だったのです。この地域は先祖の祈りが積み重ねられ、殉教者の血が流された地であることを覚える時、必ずリバイバルの祝福を受ける特別な地域だと信じて伝道に励んでおります。

 最近高齢化による教勢の伸び悩みが問題視されますが、赤磐教会は高齢化ゆえに保たれた教会といえましょう。私が1992年4月に着任した時の信徒の平均年齢は66歳(12名)でした。あれから11年、愛兄姉の中にはすでに召天された方や、高齢のため教会にかよえない方もおられますが、高齢者の兄姉がおられたので、その間に次の世代に伝道することが出来ました。また、高齢者の方がおられたからこそ、困難といわれる高齢者伝道にも実を結ぶことが出来ました。現在の平均年齢は53歳です。現況は、礼拝出席が18人ほどで、21歳から65歳以下の兄姉が12名になりました。高齢化は次の時代へのチャンスを含んでいます。
 目標は、使徒時代の教会のように聖霊に満たされ、み言葉の宣教は勿論のこと、霊と力との証明(Tコリント2:4)による宣教に用いられる教会となることです。御加祷いただければ、感謝です。


赤磐教会ホームページ http://www20.0038.net/%7eacts/