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日本民族総福音化運動総裁 ソウル聖民教会元老牧師 リバイバリスト 申 賢均 Shin Kenkin 使徒行伝2章1〜4節を見ると、命の宗教としてのキリスト教が誕生した経緯が単純ながら、しかし明瞭に記されていることがわかります。 「エルサレムから離れてはいけません、約束の時を待ちなさい」というイエス様の言葉を堅く信じてエルサレム市内のある家に120名もの人が閉じこもって激しく祈り込んでいると、10日後の五旬節に当たる日、一同の上に聖霊があたかも激しい風のように、また舌のようなものが炎のように分かれて臨み、彼らが色々な他国語で語り始め、上から力を得て十字架と復活の福音を大胆に宣ベ伝え始めたというのです。いわゆるこれが“エクレシア”(教会)の誕生です。 その後教会は約2000年に亘って様々な経緯を巡ってきましたが、その間、はなはだしい迫害の暴風のために根こそぎ崩れ落ちそうになったこともありましたし、ある時は教会の中に致命的な害虫が生じて、その腐敗度のあまりの深刻さに教会の命がもう尽きたのではないかと思われる時もありました。またある時は教会が老木のように衰弱し力尽きた様に思われた時もありました。けれども、その時々に応じて聖霊の働きが激しく臨み、教会が新しい力を得て今日までに至っているのです。 ところが、生存しているはずの教会があたかも命を失ってしまったかと思われるような状況に陥っている今日においては、今こそわれわれは後の雨を慕って第二の五旬節を待つ時にあると言えるのです。ある聖書学者は五旬節的な聖霊の働きは一過的であると主張しますが、聖書をよく調べるとそうではありません。使徒行伝2章38節には聖霊を与えるという約束があります。「われらの主なる神の召しに与るすべての者、すなわちあなたがたとあなたがたの子らと、遠くの者一同とに与えられているものである」と書かれてあるのです。 またヨエル書2章23節には、「主は前のように、秋の雨と春の雨とを降らせられる」と約束してくださいました。春の雨というのは、冬の間固まっていた土を、種を蒔いたら芽がよく出るように軟らかくする働きがあります。秋の雨というのは収穫の直前に降り、そこに太陽が注がれいよいよ穀物を実り豊かにしていく働きがあるのです。ですから私たちは、初めの雨、即ち五旬節の時の聖霊と、イエス様再臨の前に降るとされる後の雨とを必ず受けて、実り豊かな穀物のようなクリスチャンになるべきなのです。 それではこの第2の五旬節が、なぜこれほどまでに期待されるべきなのでしょうか。 それは第一に、私たちが新しい人に変えられていくためです。サムエル記上10章6節を見ますと、「その時、主の霊があなたの上にも激しく下って、・・・変わって新しい人となるでしょう」とあります。確かに五旬節の時にペテロは新しい人になりました。十字架にかかられる前のイエスを「私は知らない」と 三度否んだような臆病なペテロであったのに、五旬節に聖霊の力を頂いてからは、迫害をも恐れず大胆にイエスを証しする者に変えられました。そうです。人は聖霊の力によって変えられるのです。新しい人になりたい、力強い神の証人になりたいと願う人は、この聖霊刷新協議会において本当に聖霊に触れられて新しい人に変えて頂こうではありませんか。 私は韓国神学大学というリベラルな神学校を卒業しました。ですから当時、神学的、文学的、弁証学的な説教にこだわり、それを聞く会衆は退屈していつもあくびをする有様でした。私は牧会者としての素質がないものと思い込み、コメディアンにでもなろうかと転職を考えたほどでした。しかしある時、ソウルの南部教会から説教の奉仕を依頼され、いつもの堅苦しい説教をしたところ、「聖霊の力を受ければ世界的な伝道者になる素質がある」と私は判断され、そこに招聘されることになったのです。 1961年9月27日のこと、まず家族を連れてプサンにある義姉のもとにお世話になりに行きました。そこで出された誠意のない朝食を不満に思い、妻とけんかをして、なんと私は着の身着のままひとりで外に飛び出し、映画館を渡り歩いて放浪の時を過ごす羽目になりました。プライドの故に義姉の家にも戻れず、腹は減り心は空虚そのもの、惨めな自分を思っている時、聖霊様からの語りかけがありました。「あなたは明日から牧会だというのに映画館巡回とはなにごとぞ。シオン教会へ行って祈りなさい」。 シオン教会は私の神学校の同窓生のチョン牧師が牧会しており、彼は肺病を患っていたのに祈祷院で激しく祈り聖霊に触れられ癒されて後、教会が大きく祝福されているといううわさの教会でした。所在もわからなかったのに聖霊様の不思議な導きで、私はその教会の門を叩きチョン牧師に会うことができたのです。彼の「ハレルヤ!」という大声ですがすがしいあいさつに戸惑いを感じながら(当時の私は “ハレルヤ”のあいさつ語さえ知りませんでした)、彼の大胆な歓迎の抱擁の中で小さくなっていたのです。書斎に案内された私は、彼が聖霊様の促しによって私のために毎日執り成してくれていた事を知りました。ここで私は大きな体験をすることになるのです。 異言を求めるよう勧められ彼の導きなるままに祈っていると、聖霊を求める思いがいよいよ熱くせられ、私の口から今までに祈ったことのないうめきがほとばしり出てきたのです。「チョン牧師に与えられている聖霊を私にも与えてください!」。やがて涙とともに抑えきれない喜びに満たされ異言が与えられたのでした。今まで五分と祈ったことのない私がこの時は七時間にも亘って祈っていたのです。明るい光が私を取り囲み主のみ声が聞こえてきました。「申賢均よ、お前のすべての過去の罪を赦す。今からおまえを韓国民族のために立たせる。世界中どこへ行っても私の言葉を語れ、私はあなたとともにいる!」。 チョン牧師から新しい門出の祝福の祈りを受け、けんかして飛び出してきた妻の元へと帰って行きました。門口で迎えてくれた妻に謝り、喜びの一部始終を語ると、この日が来るのを三年も前から祈り続けていたとのこと、私よりも先に聖霊を受けていた妻の執り成しがあったことを知ったのです。このように聖霊様は私たちを新しく造り変えて下さいます! 第2に、聖霊によって力を与えて頂くためです(使徒行伝1章8節)。それはまず“讃美の力”です。一六章には牢獄の中にあって主を讃美したシラスとパウロの姿を見ることができます。彼らが讃美をすることにより、地震という環境の変化が起こりました。また捕われの身であった者が獄吏の家でご馳走に与るという環境の変化が起こりました。讃美は環境の変化をもたらす力があるのです。 また聖霊によって“祈りの力”も頂くことができます。エリヤは祈りの力を頂いてから信仰を持って祈った時、奇跡が起こり、雨を降らせて荒れた地に豊かな実を結ばせることができました。今、日本にもこのエリヤような力強い祈りの霊を注がれた人が多く起こされることが必要です。主のみ名によって祈りの力が注がれんことを。 次に“伝道の力”が与えられます。聖霊を受けてより後のペテロのメッセージには人を惹きつけ説得する力がありました。一度に多くの人々を救いに導くことができたのです。それは人間の力ではなく、他ならない聖霊の力によるものでした。皆さん、伝道の力を頂いてこの国の教会をリバイバルさせようではありませんか。 第3に聖霊により教会を刷新して頂くためです。何の力もなかった英国の教会が、ジョン・ウェスレーが聖霊のバプテスマを受けることによって、世界中に影響をもたらす教会へと変わったように、教会は刷新されなければなりません。今日本にも数十の教派があると思いますが、残念なことに分裂状態です。わずかのクリスチャンが分裂していては力がないはずです。まず日本基督教団が一つとなり、他の教団ともやがて一つになっていくならば、必ず教会は力を得ます。愛の冷えた教会が愛に燃やされた教会に刷新されていくでしょう。愛の主張者ばかりでなく実践者になろうではありませんか。そして聖霊による教会のリバイバルを待ち望んでいこうではありませんか。「エルサレムを離れないで聖霊を頂くまでそこで止まりなさい」というイエスの言葉を堅く握って祈った時、大きな力を受け大胆に福音を述べ伝える者に変えられていくのです。 日本はいち早く欧米の文化を取り入れ目覚しい発展を遂げながらも、欧米の文化を支えている精神を無視した為に、今人間の力の限界に入り低迷しています。けれどもこの日本に聖霊運動、総福音化運動が始まれば、日本は大きく変えられ、やがてそれが世界の総福音化に繋がっていきます。「今こそ日本の国を福音化してください!、そのために今朝私たちに聖霊の大いなる満たしを与えてください!」と心から願い、熱く祈り求めていこうではありませんか。 |
『キリスト教の第三の波-カリスマ運動とは何か-』 |