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![]() ドイツ福音教会聖霊刷新協議会議長 ディヒター・コイヒャー Pfarrer Dieter Keucher 19世紀のドイツの有名な神学者ヨハン・ブルムハルト。彼はカリスマ運動のパイオニアであり先駆者であった。彼の牧会した教会では、大いなる霊の刷新運動が始まった。カリスマ運動という言葉を、まだ誰も知らなかった時代のことである。当時、霊的刷新に対する渇きは非常に大きく、彼の働きは全ドイツに大きな影響を与えた。2005年、ブルムハルトの生誕200年記念を迎えたが、彼の歩みはまさに使徒の時代のようだったとレポートされてる。そして第二次世界大戦後、この聖霊刷新の働きはいよいよ拡大し、宗派を越えて全世界に及んでいる。そのただ中に置かれている現代の私達はそれをどのように受け止めればいいのだろうか。 ブルムハルトは「経験は希望をもたらす」という言葉を残した。この聖霊体験、また神の国体験は、復活された方から来る希望を与えるのである。また当時の記録には「奇跡は自然となった」と書かれている。どれほどの聖霊様の働きがあったのかが伺える一文である。人は聖霊様の働きによって神の国を経験することができるし、また神の国はどこにあっても、いつの時代にあっても実現するのである。 しかし「神の国はあなたがたのただ中にある」と語られても、客観的に見なければ分からないという人がいる。けれども聖霊様と密接な交わりを持つ時に、個人的に主観的に、それを味わうことができるのである。復活の主は召天までの間、特別なレッスンを弟子達に施した。使徒1章には40日の間彼らに現れて神の御国のことを語られたと記されている。イエス様が最も大切に語られたのは神の御国のことであった。そしてその神の国が成長することを望んでおられた。そのために弟子達は全権を委任された。あなた方が経験したことを続いて伝えなさい、と。そのような弟子達に聖霊が注がれたのである。 リック・ウォレン師はその著書の中で、「イエス様のなされた御業は多くの人々を惹きつける」と記している。イエス様のなされた御業を誇張して、また妥協して語る必要はない。神の福音を水で薄める必要もない。イエスがなされたと同じように仕えて、その業をするだけである。そのために求められるのが神からの知恵と知識、そして聖霊の油注ぎであるのだ。弱い弟子達が、キリストの証人として立ち上がるために、また神の国を成長させていくために聖霊が注がれたのである。 リック・ウォレン師は、現代の教会が人々を勝ち取る唯一の方法は、この世のどこも提供できないような者を教会が提供することだと語っている。この世の最もいと高き方が与えて下さった権威、その力に満たされて、私達は語り行うのである。私達は神の子供としてふるまい、謙遜な心で、確信を持ってそうすべきである。私達は癒しと解放のために祈ることができるし、その力と権威を主から委任されている者であることを知らなければならない。 ドイツ福音教会聖霊刷新協議会(以下GGEと略す)は以下のように文章をまとめた。「GGEは世界に広まるカリスマ運動の一端を担っている」。そして「聖霊の力を通してドイツ福音教会の刷新のために関与していくのだ」と。この文章の背後には、「上からの力無くして、教会はありえず、私たちは聖霊にまったく依存する者であるということである」という確認がある。私達の行動は両手を広げてそれをただ受けるだけ。本当に御霊の力無くして、神の御心を行うことはできない。聖霊のバプテスマとは、聖霊によって満たされた姿を現しているだけである。 イエス様は「あなたがたは聖霊を受ける。そして私の証人となるだろう」と語られた。そのために「もう一人の助け主」を与えられたのである。それが聖霊様であり、私達はイエス様との信頼関係の中にあるように、聖霊様との信頼関係に繋がれ、恐れずにキリストの証人となろうではないか。カリスマ運動の基本的なことは聖霊様との信頼関係の中に自らが置かれるということ、この方に自分自身を明け渡すことであることを知って頂きたい。そして、どんな状況であってもイエス様が語られたことは然りである。「あなたがたは私の証人となる」という力強い言葉、この言葉の中には、イエス様が私達に与えて下さる権威が隠されているのである。 イエス様が弟子達になされた集中レッスンで神の御国についてお教えになった。特に信仰にあって神の国を建て上げること、その中で神さまの業が起こされるという事実を忘れてはならない。主は聖霊によって、あなた方を通して神の国を打ち立てられる。だから決して希望を失ってはならない。 主から私達に全権が委任されたのである。イエス様が昇天された後、そのまま天を見上げていてはいけない。その目を収穫の畑に向けなければならない。神の御国を打ち立てるために、その召しに従って立ち上がることを求められている。私達は霊的にワクワクするような時代に生かされている。キリスト教の歴史の中でかつて一度もなかったような時代。聖霊様の働かれる中で、次々と人々が救われている。キリスト教に対して閉ざされていた国の門が開かれてきている。ペンテコステの息を人々は求めているのである。 主が願っておられることは、その与えられた「神の国形成への招きと委任」に対して、私達がはっきり「お従いします」と、自分自身を心から聖霊様にお委ねして従うことである。これこそ真に召された者の姿ではないだろうか。私達は真心から「はい、お従いします」と告白しようではないか。そして大いなる希望と確信と信仰を持って前進しようではないか。 |